なんとなく、暮らしてる

800文字程度の雑文

THE八犬伝の感想

1話、2話と視聴を続けるたびに?マークが増えていく。

謎が解けたときにそうだったのかと膝を打つような面白さに変わる類の?ではない、苦痛を伴う類の?である。

いつ面白くなるのだろうかと腕組みしていたら最終話がやってきて、人を煙に巻くような一方的な終わり方をして呆気にとられた。

まるで解釈は見るものに任せるといわんばかりの投げやりなストーリーである。

演出も作画もいいのに屋台骨であるストーリーが残念という、90年代の駄目OVAの典型みたいな作品だった。

THE八犬伝というと新章4話「はまじ再臨」の演出が有名だが、アニメーターがここまでキャラを崩して自己主張をするのなら自分でアニメを作ってそっちでやれという感じがする。

 

 

 

映画「怒りの葡萄」感想

1930年代のアメリカでは耕作が不可能となるくらいの砂嵐が吹き、30万人ものの人々が農地を捨ててエクソダスさながら西を目指したという。

ジョードの一家も農地を捨てボロいトラックに乗り込み、職を求めてカリフォルニアを目指すのだが、すでに大量の農民がなだれ込んできていた当地では労働者過剰を起こしており、彼らは農場主にゴミのように扱われるのだった。

東京大空襲のときにみんなとは別の方向に逃げたために助かった例は多いと聞くが、ジョード一家の悲劇はみんなと同じ方向に向かってしまったことに端を発する。こういうとき皆と同じに流されたら駄目だという教訓をこの映画から得た。

大家族がボロいトラックに乗って大陸を横断する道中には色々なドラマがあり、好きなシーンもあるのだけど、肝心のラストが駄目だ。

無知蒙昧で無学文盲に等しいような母が息子に感化されて「わたしたちはこれからもずっと生き続ける。何故ってわたしたちは民衆なのだから。」と急に自分を「民衆」の一人として規定しだしたりして、思わず誰にそんな単語を吹き込まれたんだよとツッコミたくなる。脳でもすげ替えられたのかと。

 

 

ブギーポップは笑わない(2000年)の感想

このアニメは少し特殊な構成をしていて、各回は主人公の周辺人物の物語から成っている。
ある回で語り手だったキャラクターが別の回ではモブに後退し、ある回でモブだったキャラがまた別の回では語り手になるというふうに、彼ら一人ひとりの紡ぐ話が物語の外堀を多方面から埋めながら核心へと向かっていくという演出である。
少年少女らはこういう陰気なアニメの例に漏れず一人一人問題を抱えていて、アダルトチルドレンだったり、精神疾患を持っていたりするのだけど、その描き方が「健全な大人が描いた病んだ少年少女像」という感じがした。
少年少女たちの抱えるステロタイプな狂気は滑稽に映るし、対置された大人たちもやはりステロタイプでリアリティが感じられない。
彼ら彼女らの物語を繋いでいる一本の線の先にある結末もなんだそりゃという感想。

スカイ・クロラの感想

人々が平和であるということを認識するために戦争を演出しているという世界はボードリヤールの「消費社会の神話と構造」、子供たちが何度も生まれ変わって戦闘機を操縦する駒になる姿は「輪廻転生」…というよりは「永劫回帰」からインスピレーションを受けているのだろうか。

そこかしこに社会思想書哲学書から引用してきたような世界観が散見され、そういうのが好きな人間が理詰めで作ったアニメという印象。

深読みが好きな人間は好きなのだろうけど、普通の人間にとっては感情に訴えかけるものがなくてつまらなさを感じる。

こんなのを劇場で見てしまった日には前の座席を蹴り上げて帰りたくなっただろう。

映画が公開された頃、キャンペーンで「笑っていいとも」に出た押井守が「この映画はとにかく若者に見てほしい」みたいなことを言っていた気がするが、映画を通して若者に訴えたかったこととは一体なんだったのか意味不明だ。

 

 

 

どうしようもなく学校に行きたくない夜とアニラジ

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日曜日の夜になると明日は学校かと憂鬱になりはじめるので、気を紛らわすためにRCCラジオをつける。
林原めぐみのTokyo Boogie Night」「VOICE CREW」と聴いたあとは東海ラジオに無理やりチューニングして「サンライズラヂオ」「野中藍 ラリルれ、にちようび。」「mamiのRADIかるコミュニケーション」「 まさや・かおりのらぶらぶエモーション」「電撃大賞」を聴いた。
一番好きだったのがラブエモで、初めて聴いたのが小野坂昌也が富士山に登頂する回だったから余計にハマった。
この放送はその直前くらいらしいけど、ラジオCMで流れるアニメタイトルや2004年当時の雰囲気にすごく懐かしい気分になる。広島ではほとんど深夜アニメをやっていなかったので、知らないアニメのタイトルを聴くたびに東海地方への羨望や憧れを募らせていた。
そのあとの電撃大賞が始まるころになると憂鬱がピークに達し、明日なんか来なければいいのにとか、永遠にラジオが終わらなければいいのにとか思いながら微睡み始め、気づけば朝を迎えていたり、午前四時頃に目が覚めて流れっぱなしになった「走れ歌謡曲」の放送を消してまた眠ったりしていた。

ニート夜話 映画「アメリカングラフティ」の感想

夜の街をドライブするカート青年は翌朝大学進学のために街を出て行くことになっているが、少しばかりのナーバスから進学を取りやめようかと悩んでいる。
漠然とした不安を抱えた他の青年たちもそれぞれアメ車を駆って同じ街の中を流している。
街の灯を鋭く射返して光るアメ車とは対照的に若者たちの心は暗く、倦んでいる。
彼らはよくわからない女やわけのわからない男とくっついたり離れたりしながら一夜を明かし、物語はやがて夜明けのデッドヒートへと収束していく。
ここで一瞬清々しいような気分になるのだけど、エンドロールが流れる頃になると一晩かけてガソリンを浪費しているだけの意味の分からない映画でしかないことに気づいてなんだか煙に巻かれたような気分になった。
この映画を撮った監督が五年後にスターウォーズを撮って大ヒットを飛ばすのだから人間ってわからないものだなと思った。

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もともとアメリカの音楽史について調べてたらたどり着いた映画なので当たり前とえいば当たり前だけど挿入歌はどれもいい。

映画「疑惑の影」の感想

映画というのはナマモノで、中でもサスペンスは鮮度が落ちるのが早いジャンルだと思う。

今になって見るとギミックも古臭いし、この映画はどこに向かうのだろうというハラハラした気持ちも起こらず、全体的に退屈を感じた。

同じヒッチコックの「知りすぎていた男」や「北北西に進路をとれ」なんかも同様の理由で途中で飽きて見るのをやめたことがある。

だから俺の中でヒッチコックに対する評価は低いのだけど、ヒッチコックが悪いとか俺の見る目が悪いというよりも73年という時間的感覚が悪い気がする。

ヒッチコックがいいものを作っているというのはなんとなくわかるので。